

木下杢太郎と皮膚科学
伊東駅から徒歩5分、海に向かって歩き最初の信号を左折、大川橋通りを次の信号まで歩くと右に曲がってすぐのところに木下杢太郎記念館はあります。杢太郎生誕100年を記念して建てられたようです。こじんまりした展示室ですが、文学、美術、医学などの多才な業績や資料が 収蔵されています。 絵は幼少期から得意で、晩年に植物画百花譜を残しました。地元のお菓子に百花譜とあるのはこれに由来します。本の装丁・デザインなどにも取り組んでいます。地元の小学校の校歌を作詞したりして、故郷である伊東は特別のもののようです。 医学では東京大学皮膚科教授であり、太田母斑で知られています。 かつて病理の先生が、外胚葉由来の病気はむつかしいものが多く、皮膚科、精神科の病名には名前が入ったものが多いといっていました。太田母斑は木下杢太郎の本名太田正雄によります。ハンセン病、いわゆるらい病の研究にも業績を残しています。不治の病とされたらいは、つい先ごろまで偏見と差別の中で患者の人権は長く侵害されてきましたが、杢太郎はらいを可治の病としていたそうです。21世紀は脳の時代と言われるようですが、
人工心臓と医療哲学
新橋の日本循環器学会会議室において行われた補助人工心臓のプレスセミナー(講師松宮護郎、千葉大学心臓血管外科)に行ってきました。テーマは「ここまで来た人工心臓」です。 補助人工心臓は、第一世代の拍動流型から第三世代連続流型にまで進歩し、重症心不全患者の社会復帰を可能にしています。これに伴い、今までは移植までのつなぎとしてありました補助人工心臓に、恒久的使用(DT)へむけた役割を期待することが可能になってきています。その際、日本でのDTの運営をどうするかが大きなテーマのようです。わが国では、補助人工心臓の使用目的が厳格に決められ、心臓移植までのつなぎ的な役割しか認められていないため、多くの患者に治療を提供できない現実があります。DTの適正な運用について、以下の点を検討する必要があるようです。1.DT患者選択基準、2.終末期医療、3.治療開始時の説明と同意、4.費用対効果などです。 これを突き詰めると、今後の医療には、医療哲学、医療倫理、医療経済などへの国民的理解、法の整備などが不可欠といえます。弊社では、医療の基礎となる「いのち」に基づく医療(仮題)